2009年イラン大統領選挙予測
イラン大統領選挙の結果をイラン国民の心理状態から予測。賭け事はいけないよ!!
東京外国語大学 産学官連携研究員 アレズ ファクレジャハニ
<早く大統領選挙の結果予測を知りたい方は★へどうぞ>
◆「世界的にも注目される大統領選挙」
最初にクイズから:
米国が中東で国交を持たない国はどこか?
文章の最後に書いた答えを見ずにすぐに答えられた方は、相当の中東通だ!すごい!
少しヒントを出そう。
その国の面積は日本の4.4倍に相当し、人口は7000万人ほどだ。これは中東において、トルコの次に人口の多い国だ。また、米国軍が駐在するイラクの人口と比べても、2.5倍にあたる。
米国とこの国の関係がギクシャクしはじめたのはちょうど30年前の1979年だ。その年にイスラム革命が起き、米国が支援していた王様は国を追われた。翌年に学生らがアメリカ大使館を占拠し、両国の国交が断絶した。人質にされたアメリカ大使館員が解放されるまで444日間を要した。
あたかもこのイスラム革命を契機としたかのように、1979年に中東は大きく揺れ動いた。それまで30年以上にわたってイスラエルを認めず戦争を続けていたエジプトは米国の仲介でキャンプ・デービッド合意を結んだ上で、イスラエルと和平条約を結んだ。それに次いで、イラクにおいてサッダーム・フセインが大統領になり、その翌年に隣国イランと8年間に及ぶ戦争をはじめる。
これだけでもやれやれという感じの中東なのに、中東で一番広くて石油埋蔵量が世界一の国、サウジアラビアでも大変なことが起きた。イスラム教徒全員が一日5回、向かって礼拝するアラーの家アル・ハラーム・モスクがサウジアラビアで少数派のイスラム教シーア派グループに占拠された。全世界のイスラム教徒にとって、もっとも神聖であって人の血が流れてはいけないところで、軍などが出動した結果100人以上が殺害された。
また、中東のもっとも東の国も火の海になった。1979年の暮れに旧ソ連がアフガニスタンに侵攻した。これに対して無宗教の敵軍からイスラム教徒らを救い出すべく、アラブ諸国からオサマ・ビン・ラーディンをはじめ多くの義勇兵はアフガニスタンへ出向いた。その主な支援者は、アラーの家の事件で信頼回復を狙っていたサウジアラビア王国とされている。
くどいかもしれないが、質問をもう一度繰り返す。
米国が中東で国交を持たない国はどこか?
文章の後半に行かなくてもいいように書くと、イラン・イスラム共和国である。イランは現在、米軍の駐留するアフガニスタンとイラクに挟まれている状況である。
中東のここまで重要な国であるイランだが、今年中に大きく変わる可能性がある。「チェンジ」がスローガンのオバマ米国大統領と国交回復の調印式が行われる可能性が出てきている。それが可能か否かは、今年、2009年6月に行われる大統領選挙の行方に関わっていると言えるかもしれない。
★イラン大統領選挙の行方を予測する。結論から述べる。
4月5日現在での立候補者達の状況であれば、イラン北西のアゼルバイジャン地方出身であるミル・ホセイン・ムサビ・ハメネ候補が当選する可能性は非常に高い。以上!
<イランの国内事情に詳しくて、一般的な解説を省きたい方は★★へお進みください。>
◆ 「多民族国家イランでの地域性」
「政治的に改革派なのか保守派なのかとも書かずに、現職も言わずに、出身地だけできめるのかよ」と首をかしげる方もいらっしゃるだろう。確かに、まだ選挙戦は具体的に始まっていなく、今後ムサビ氏の示す政策によって、大きな違いが出るかもしれない。しかし、多民族国家であるイランにおいて地方性は非常に大きな意味をもつことをここで強調したい。
イランは多民族国家である。公用語はペルシア語だが、家庭で誰しもがペルシア語を話すわけではない。つまり公用語を学校で学ぶが、母語はペルシア語というわけではない。言語的に無理して分ければ、ペルシア語の他に、アゼリ語、アラビア語とクルド語などが話されている。地域によってこれらの言語を母語とする人々の数は異なってくる。アゼリ語を母語とする人が北西部に多い一方で、アラビア語は南西部に多い。皆は母語をもとにし、自分たちや互いを「ファルス」=「ペルシア人」、「テュルコ」=「アゼリ人」、「アラブ」=「アラブ人」などとよぶ。この状況はそれぞれを民族とも呼ぶことができるかもしれない。(参考までこちらをhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Iran_ethnoreligious_distribution_2004.jpg)
この母語というか地域性は生活の隅々に出てくる。初対面であれば公用語のペルシア語のなまりから、話す相手はどこ出身かを予測することからはじまる。テヘランで生まれ育った私だが、両親はアゼリ語を母語としているのでペルシア語をアゼリ語なまりで話す。両親の出身地はアゼルバイジャン地方であって、イラン西北部に位置し、トルコとイラクに接している。私の話し方を聞くとほとんどのイラン人はすぐに私をテュルコ人と認識する。
イラン人の大好きなジョークにもこの地方性は色濃くでる。どこそこの人は商売気が強くてケチだとか、あの地域の人は頭が悪くてドジばかりふんでいるとか、その町は女が強すぎて男は哀れだとか、いくらでもジョークはでてくる。私にはこれらのジョークの起源からしてなぜそうなのかは私にわからないけど、色濃く人々の間に存在する認識である。
★★本題の大統領選挙の予測に戻ろう。
「アレズが両親のアゼルバイジャン地方という出身地に対する希望もあって、大統領選挙の結果を予測したのだろう」と見る方もいらっしゃるだろう。いいえ、違う。ムサビ氏が当選する可能性がは高いと予測するのにはイラン人有権者の政治意識がなによりも重要な意味を持っているからである。
◆ 「一般市民と得体の知れない誰か」
イランで一般市民と政治の話をすると、主語の見えない話は何度となくでる。例えば、「Nemizaran」=「許されるわけがない」とか、「Mizararanesh」=「そう決められる」をよく耳にする。主語はないので、「誰」が許さなかったのか、「誰」が決めたのかは見えない。「誰」って、「誰のことか?」と聞いても、「Khodeshun」=「あの人たちよ」とまともな返事がない。得体は知らないが、どこかの「誰か」たちのことである。
しかし、このようにものごとを決めてしまう「誰か」に対して不満を感じているために「反抗」したい。その「反抗」が行動としてあらわれるのは「投票」のときである。人々が投票所へ向かうのには、この精神を無視できない。
実はあの「文明間対話」を国連で提唱し、イランの国際関係を回復させた前大統領のハタミ氏も、人々のこの「反抗」精神がきっかけで当選した。彼は当選したのが1997年に行われた大統領選挙だった。その投票の前日までは、国民議会議長を辞して大統領選挙に立候補した大物の政治家、ナーテグ・ノーリ氏が当選すると見られていた。ナーテグ・ノーリ氏は保守的で、最高指導者との関係も非常に良好とされていた。現職の大物政治家に対してハタミ氏は、立候補当時、めだった役職についていなかった。しかし、投票箱のふたを開けてみれば、2000万人の人々がハタミ氏の名で票を入れていた。有権者の7割にも相当する数だ。
ハタミ氏の過去の経歴がその当選に大きく影響を与えた。それは、選挙の数年前に大臣職にいた彼は、メディアなどの言論の自由を主張していた。しかし、それを規制しようとする保守派を阻めなかったことから、大臣職を辞した。抗議の意味で大臣職を辞していたことは、人々の記憶に色濃く残っていた。最近の日本で言えば、抗議で自民党を離党した元行政改革大臣が人々の注目を浴びたが、それに近いかもしれない。もちろん、日本でもイランでも政治家が自ら進んで大臣職を辞することはほとんどない。そのため彼の「辞職」に「反抗」の意味合いが重なっていた。
もちろん、ハタミ氏が当選した理由は他にいくらでもあろうけれど、一般庶民がハタミ氏に投票したのは、彼を自らと同じように「誰か」に「反抗する人」と見なしたからだろうとも言える。結果、ハタミ氏は投票率の7割を得て当選した。
今の状況も当時に似ている。主な立候補者は現職のアフマディネジャード大統領と役職を持たないミル・ホセイン・ムサビ氏である。ムサビ氏も以前、1981年から8年間にわたり首相を務めていた。このうち80年からの7年間はイラン・イラク戦争の真っ只中であり、経済も含め困難な時代だった。
1988年の戦争終結の翌年、イスラム革命の指導者、故ホメイニ師が亡くなった。彼の死去を受け、イスラム共和国体制の最高指導者を誰にするのかが大きな問題となった。そして、当時まで大統領であったハメネイ師は最高指導者となった。それと同じときに、憲法改正が行われ、行政での首相職が無くされた。それをもって、ムサビ氏は政治と距離を置き、政治に対して意見さえ言わなくなった。彼の目立った活動といえば、画廊展を開いいただけとのことだそうだ。
言いかえれば、1989年の時点で、国民による選挙で選ばれた行政府のトップである大統領が現在のイスラム共和国体制の最高指導者となっている。それに変わって、大統領によって任命されていた、当時行政府第二位の閣僚の長である首相は、それ以降、政治的に無職に近い状況でありつづけた。
ムサビ氏のこの政治活動との距離は一般市民に面白く映るだろう。つまり、「誰か」に「反抗」するがために、沈黙をしたのではないかとみられる可能性は高いはずだ。
ミル・ホセイン・ムサビ・ハメネ氏が当選する可能性が高いと私が予測するのには、この有権者の反抗精神にはまる候補であるということ以外の理由もある。
それは、彼の姓名の後半部分ムサビ・ハメネに由来する。これは、彼がハメネ市出身である。ハメネ市は数万人ほどの小さな町だが、その町が存在する地域は非常に重要な意味を持つ。それはアゼルバイジャン地方である。上でも述べたが、イランにはさまざまな民族が住んでいる。このなかではファルス=ペルシア系以外では、もっとも人口の多いのはトルコ系(アゼルバイジャン地方出身)で20-25%だ。そのために、彼に投票する人は多くなる可能性がある。
ちなみに、ハメネ市を小さな町と紹介したが、実は、最高指導者ハメネイ師もこの町に深く関係している。彼の父親はこのハメネ市出身であったがために、名字はハメネイ(意味:ハメネ市に関係する人)となっている。
こうした言語や民族に基づいた投票行動は今までもしばしばおきている。細かい分析には入らないが、前回の2005年大統領選挙でもこの地方性は綺麗に影響を与えていた。立候補の条件を満たしていた人は6人だったが、大統領選挙が行われた結果、その6人とも、各地方でトップ当選していた。しかし、いずれも必要な投票数を得られなかったがために、第2回投票へ続いた。それが、ご存知のようにアフマディネジャード氏の当選とつながった。
大統領選挙において、このミル・ホセイン・ムサビ・ハメネ氏が人々の投票を得られる可能性が高いことを再度結論付けるのなら以下のようになる。
- 彼は現在、政治の世界では役職を持たない上、沈黙してきた。これは、一般庶民からは「われわれ同様の人」と見られるだろう。
- 母語はトルコ語であり、生まれ育ちはアゼルバイジャン地方である。人口の割合から考えれば、投票数の2割近くは彼のものになるのであろう。
先月出張でイランにいたが、アゼルバイジャン地方から首都のテヘランへ向かう夜行列車で出会った男の言葉は耳から離れない。
「アゼルバイジャン出身者が大統領になることは許されるわけがない!」
彼の話を聞いて、逆に?今回も人々が「誰か」の意向に反対するために投票へ向かうのではないかと思った。
以上!アゼルバイジャン地方出身である両親にテヘランで育てられたアレズの頭をかすめた直感でした!
答え:イラン・イスラム共和国。


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Reply #2 on : Tue April 07, 2009, 22:37:39