トークセッショ ン報告
2009年12月18日金曜日、「ストリートの文化と抵抗:パレスチナのラップ音楽の事例から」と題して、映画『スリングショットヒップホップ』上映会+トークセッションを実施いたしました。30分程で整理券が無くなってしまうという予想以上の人出となり、会場の渋谷アップリンクと監督のご厚意で急遽、映画を9時過ぎから再上映いたしました。映画終了時にはエンドロールを待たずして大きな拍手が巻き起こり、その熱気が冷めやらぬうちに続けて行われたトークセッションも、たいへん充実した内容となりました。概要を以下に公開いたします。
なお、16日の東京外国語大学での公開講義、19日の国際交流基金でのトークセッション、21日京都クラブメトロでの映画上映会+トークセッション、いずれも盛況で、全体で500人以上の方々にご来場いただきました。皆様に心より感謝申し上げます。
18日トークセッション概要
講師:ジャッキー・リーム・サッローム監督
鈴木裕之・国士舘大学教授
司会:山本薫
山本「まずは鈴木先生に映画の感想と、ご専門である西アフリカのストリートカルチャーや音楽シーンのご紹介をお願いします」
鈴木「1970年代、NYの黒人を中心としたゲットーの若者が生んだHIP HOPというカルチャーから生まれたラップ音楽は、80年代にメディアにのって世界中に広まっていきました。アフリカでも、学校からドロップアウトした、社会から外れたストリートの若者たちが何か自己表現したいという時に、最初に思い浮かべるのがラップとレゲエなんです。この二つは、20世紀に生まれた多くの音楽の中でも、あらゆる文化を突き抜けて存在し得るという、力強さを持っています。日本ではアイドルや子どもたちまでラップをしている一方、パレスチナではラップが非常に重い現実を表現しているという、そういう力も持っている。どちらがいいとかではなく、その幅の広さが、黒人の若者たちが作ったストリートカルチャーであるラップが世界に広がって、今に至るまで生き残っている、その原動力だと思う。
ラップという音楽は誕生から40年近く経ちますが、常に進化し続けています。今日の映画で見たパレスチナのラップも、現在進行形で、今日もおそらく進み続けているのだと思う。私は1990年代のコートジボワールの首都アビジャンを見てきました。いろいろな民族の貧しい若者たちが、ラップを通じて自己表現をしているという、その現象を比較する材料として、私の撮ってきた映像を紹介したいと思います。[ルバと呼ばれる肉体派ストリートボーイたちのカラテの動きに影響を受けたダンスやラップを紹介]
2002年からコートジボワールは内戦に入り、その後和平プロセスが始まって再び安定してきていますが、そういう重い現実をラップで表現する若者たちが登場しています。パレスチナの政治状況という縦軸と、ラップという世界のすべての国や地域で若者たちに演奏されている音楽が横軸にあって、それがクロスするところに今日の映画に登場したラップしている若者たちがいる。そのラップという共通のプラットフォームを作った米国の黒人たちもすごいけれども、それを発展させている各地域の若者がいて、そういう現実を我々日本人も知るようになるというのが大切。それと同時に映像を見て、ビートを感じて、彼らのかっこよさに触れるというのが一番肝心だと思う。若者に響くカッコよさを持ちつつメッセージを届けることができるラップやレゲエという音楽は、モンゴルやラオスにもあるかもしれないし、アルゼンチンにもあるでしょう。テレビや政治家が用意した情報ではなく、われわれがゲリラのようにそういう情報にアクセスしていく。あるいは監督のような方がこういう映画を作ってわれわれに届けてくれる。そういうプロセスを大切にしていきたい」
山本「それでは次にジャッキー監督、この映画で伝えたかったことなどお話いただけますか」
ジャッキー「この映画には一つのメッセージを込めたわけではなく、いろんな捉え方をしてほしい。
私の父はシリア出身、母はパレスチナ出身。米国でのアラブ人のイメージはとてもネガティブなもので、若いころはアラブ人であることを隠したかったし、母親がRを巻き舌で発音するのが嫌だったこともある。両親はアラブ人の歴史や文化に誇りを持つよう教育したが、私はアラブ人でいることが嫌いだった。成長するにつれて考えは変わり、メディアにおけるアラブ人の描かれ方に関心をもつようになった。アートを通じてアラブ人のステレオタイプに挑戦するということに興味をもつようになり、それがこの映画につながっている。
2002年頃、イスラエル人映像作家のウディ・アローニ(Udi Aloni)の撮ったドキュメンタリーを通じてパレスチナのラップグループであるDAMを知り、「パレスチナ人がヒップホップ?」と興奮した。さっそくDAMの『Who is the Terrorist?(ミーン・イルハービー)』という曲をダウンロードして、歌詞の英訳と、米国のメディアでは流れないようなインティファーダ[パレスチナ人の民衆蜂起]の映像をモンタージュして、ミュージックビデオを作った。それをクラスで見せたところ、それまでは私の作品を政治的すぎるなどと批判していたクラスメートたちがとてもいい反応を見せたことに驚いた。彼らの心を動かしたのはアラビア語であるにもかかわらず、それがヒップホップだったからだと思う。それでヒップホップの持つ力に興味を持つようになった。先生にドキュメンタリーを撮ってはどうかと言われ、その考えに飛びついた。最初は簡単に考えていたが、結局映画の完成までに4年半もかかった。
私が目指したのはまず、音楽を別のプラットフォームにのっけること。音楽を聴くと同時に表情を見て、物語に触れることで、パレスチナをサポートしたいという気持ちを持ってもらうこと。それと、若いハンサムなアラブ人がラップをしている姿を見せることで、アラブ人のステレオタイプに挑戦したかった。さらには、中東の人々にヒップホップについて伝えたかったし、イスラエル国籍をもつパレスチナ人たちのことをアラブの一般の人々に知ってもらいたかった。多くのアラブ人はガザ地区や西岸地区のパレスチナ人は知っていても、イスラエル国内に暮らすパレスチナ人についてはよく知らず、ネガティブなイメージを持っているから」
山本「鈴木先生の紹介してくれたアビジャンの事例は特にマッチョなイメージだったが、そもそも米国で生まれたラップ自体にマッチョというか、男性的な表現があると思う。この映画では女の子たちがラップする姿が描かれていたが、アフリカのラップにおける女性についての表現や女性の参加についてお話いただけますか」
鈴木「米国でも女性がラップをするし、アフリカでも女性のラップは盛んになってきている。伝統的に女性が自己表現する場があまりなかったとすれば、ラップをそうした新しい場と彼女たちがとらえて、今まで言えなかったことをそこで表現できるという意味で、女性にとってもいいものではないか。もちろん全体的には男性優位だし、米国の男性ラッパーの言葉の使い方にも女性蔑視の部分がある。でも今はフェミナンなラップも増えてきていると思う。だからこの映画を見ても違和感はなくすんなり受け止められた」
ジャッキー「男性同様、彼女たちもラップを通じて自己表現するというところにひかれているのだと思う」
山本「アラブ人についてのステレオタイプへの挑戦という監督の発言が先ほどあったが、そういうステレオタイプという点から言うと、女性ラッパーの存在というのが日本の一般の観客が一番驚くところではないか」
会場から本プロジェクトのリーダーである酒井啓子・東京外国語大学教授「私もスカーフかぶった女の子がフロアで踊っているなんて、面白かった。もうひとつ意外だったのが、日本だと子どもたちがラップに凝っていると、親がやめなさいと言ったりすると思う。でもこの映画では『私はうちの娘を、息子を誇りに思う』と言う。ラッパーの息子・娘を誇りに思う親が日本にはどれほどいるだろうか。そこに、アラブ・パレスチナの社会における家族という伝統的なものと、ラップという新しい表現形態が一緒になっている姿が現れていておもしろかった」
ジャッキー「私もその点は映画の中の重要なシーンだと思いました。ラッパー本人だけでなくその家族の表情や考えを知るということ。DAMのメンバーの母親はマネージャー的な役割をしているし、父親が『好きなことをやりなさい』と彼らを後押ししているのを見て、素晴らしいと思いました。ほかの両親もみなそんな感じでした」
山本「今話に出た家族とか、世代を超えたコミュニティーの絆というものも、この映画に描かれていました。ラッパーたちが音楽を通じてコミュニティーのつながりを強めていこうという、教育的あるいは社会的だったりする活動に貢献している部分も映画に描かれていた。これについてはアフリカのストリートボーイの場合、家族や社会から疎外された孤独な子が多いという点で、違いがあるのではないでしょうか。コミュニティーの中での彼らの位置というのはどういうものなのでしょうか」
鈴木「私もそこがわからなかった。アフリカのストリートボーイというのは家から追われた子たちで、家族の中で自己表現する場がないから、自分たちで作り上げるというパターン。おそらく米国のラップもそういう形が強い。それに対してこれは、パレスチナという状況があるからなのか、アラブ世界はみんなああなのでしょうか。子どもがラップしてもいいんでしょうか?!」
ジャッキー「ほかの地域のことはよくわかりませんが、私はこの映画をレバノンやシリアやエジプトに持って行きました。観客の中には50歳代、60歳代以上の人もいましたが、みな好意的でしたよ」
山本「映画の中で、ガザでラップをしているムハンマド君という青年がラジオにゲストとして出演するシーンがありましたね。司会の男性自身が結構おじいちゃんなんですが、孫くらいの年で、ラップなんかやってる彼のことを「ウスターズ・ムハンマド(ムハンマド先生)」と呼んで、アーティストとして敬意を持って遇している。またリスナーの年配の人も彼の活動を賞賛していました。日本などではラップを聞く世代は限定されると思うが、この映画ではそういうものを飛び越えている。世代や、いろんな意味での境界、ボーダーを乗り越える力というのが表現されていたと思う」
ジャッキー「それは私も気に入っているところ。米国でヒップホップのショーに行けば若い子だけだが、パレスチナではすごくびっくりさせられる。一度など、教会がイースターのお祝いの式典にDAMをゲストに迎えたことがあった。教会でラップですよ! どのショーに行っても中年、老人、祖父母、子どもたちがみんな手を叩き、抱き合い、キスを交わしている。世界にメッセージを届けてくれてありがとう、と言った声も聞こえてくる。彼らは音楽のインパクトを理解しているんです。DAMやアビールのアルバムを聴けば、彼らの歌詞も素晴らしいことがわかる。歴史や文化、詩への言及に満ちていて、古い世代にとっても印象的だし、若い世代にとっては教育的でもある」
会場からの意見「日本では息子や娘がラッパーならびっくりしちゃうという酒井さんの話があったが、それはたぶん日本のラップには親の世代と共有できるメッセージがないからだと思う。パレスチナでは社会的・政治的・歴史的に共有できる背景があり、それを彼らはメッセージとして歌い、踊っている。世代間を越えて共有できるものがある世界とない世界があるのではないか。そこに歌や音楽や映画のメッセージ性というものがある。それをこの映画が気付かせてくれたことに感動しています」
ジャッキー「アリガトウ」
酒井さん「たとえば日本の若者がラップで大人は汚いとか、打算ばかりだとか、上の世代、違う世代を批判するということがあると思うが、パレスチナでは世代間の批判をラップに乗せるようなことはあるのか」
ジャッキー「いえ、彼らはお年寄りをリスペクトしていますから。彼らは政府や独裁を批判しますし、イスラエルによる占領だけでなく、アラブ諸国や米国の政策を批判します。でもほかにも恋愛や楽しみのための歌もたくさんあって、政治的な歌ばかりでもありません。それから彼らは男性が女性を扱うやりかたについても批判しています。性差別や女性への抑圧について語ることは中東ではとても大切です。これを音楽でやっているということは素晴らしいと思います。
米国の観客に驚かれたのも、女性がパレスチナのヒップホップシーンですごくリスペクトされていることでした。MTVなどのメインストリームのヒップホップ・ビデオでは女性が従属的に描かれたりしていますが、パレスチナのラッパーは女性をとても尊重しています。DAMの曲には女性の自由をうたった歌があり、新しい世代は女性への対応において変わらなければいけないと歌っています。ヒップホップをやりたいという女性なら誰でも彼らは支援し、コラボレートしようとしています。これはパレスチナのラップシーンでとても刺激的でポジティブな点だと思います。
私はこの映画を紹介するために初めて日本に来られて、とても名誉に思っています。招待に感謝します。ラッパーたちも私が日本に行くと聞いて、自分たちもぜひ行きたい!と興奮しています。映画に登場したラッパーたちと一緒にまた日本に来られるよう、願っています」
(文責:山本薫)
